「気づく人」は書かなければいけない、と常々思っています。 ここで言う「気づく人」とは、情報収集力や勘が鋭く、危険を察知しやすい人のことです。今風に言えば「HSP」と呼ばれる、どの生物にも20%程度存在するとされる「感覚が敏感なグループ」を指します。
頭に浮かんだことは、近くにいる相手なら口頭で伝えられます。しかし、声の届かない場所にいる人には伝わりません。 メールやSNS、あるいは本として「文章化」すれば、遠くの人にも伝わりますし、読み手が必要なタイミングで受け取ることもできます。
思考とは花火のようなものです。 同時に複数の単語がバラバラに発光しては、すぐに消えてしまいます。 脳内では、ランダムに散らばった主語・述語・目的語を、瞬時に並べ替えて文章として理解しています。しかし、これはあくまで自分の中だけで起きている現象です。
頭の中に幾重にも重なった思考を、忘れる前に「洗い出す」。 重要なものは忘れないように「書き出し」、不要なものは忘れるために「掃き出す」。 脳のメモリをクリアに保つために、書くことは不可欠な行動なのです。
理想は、得た情報を自分の中に留めず、自身のフィルターを通したものをそのまま書き出すという「自然なスタンス」です。普段の会話がそうであるように。
また、書く上で大切なのは「結論に至るまでの経路」を相手に伝えることです。 どの道筋を通って結論にたどり着いたかは、読み手の納得感や信頼感に直結します。
例えば、 ラーメン屋に盆栽が並べてあるのを見て、事前情報がなければ多くの人は素直に受け入れられません。たとえそれが日本一の盆栽だとしても、唐突すぎて良さを理解し難いのです。 これは、 難題を出されて答えだけを教えられても納得感がないのと同じです。 どんな良案も、経路が見えないと受け入れにくいのが人間の仕組みなのです。
これまでは、 他人に対して「書いたらいいのに」と思っていました。 10年も働けば伝えるべきことはたくさんあるはずですし、まして還暦まで働けば40年分もの蓄積があるはずです。 とはいえ、上司の指示でもなければ、自ら発信するのは億劫なものです。 経験を言語化し、文章として残すには「よほどの発信欲」がある場合を除き、意識的な一歩が必要になります。

